2009年07月18日

思い出の華流スター:テレサ・テン(鄧麗君)

思い出の華流スター:テレサ・テン(鄧麗君)


いまから約30年前、我が家に親父がゴルフコンペに参加してスポンサーからいただいたナショナル(現パナソニック)のトランジスタラヂオがありました。
家じゃ誰もラヂオなんか聞かなかったので、小学生だった僕はそれをオモチャ代わりにいじって地元のラジオ番組など聞いたものでした。

ある晩、このラヂオはFMとAMのほかに、SW(短波)というバンドが付いているのに気付き、分からずスイッチを切り替えてダイヤルをいじってたら、
何やら日本語で中国のことをしゃべってる番組が…これが当時の「北京放送」(中国国際放送)の日本語放送でした。

しかし、まだ文化大革命が終わったばかりの中国ではまだポップスなど西側(資本主義国家)の音楽は解禁されておらず、
流れてくる音楽は軍歌や民謡しかなくて、子ども心に物足りなく感じた。
しゃべってるコトも社会主義国らしく堅苦しかったしね。

そんなある晩、短波ラヂオをいじってたら、中国語でポップスを歌ってる番組が入ってきた…。
当時の中国音楽と比べたら、歌い方や楽器演奏なんかはずっと日本の曲っぽかったので、不思議に思ってたら、
やがて「こちらは自由中國之声です。中華民國、台灣、台北(たいほく)からお送りしております」と日本語アナウンスが…
いまの台湾国際放送(台灣之音廣播電台)の日本語放送でした。

この時ポップスを歌ってたのは違う歌手でしたが、程なく僕は自由中國之声を通じて、テレサ・テンが中国語で歌うポップスや歌謡曲に親しんでゆくのでした。

当時のテレサは日本では「空港」でヒットを出したものの、その後はパッとせず、石川さゆりなどに追い抜かれていく地味な演歌歌手でした。
ドリフの番組に出ても、日本語があまりしゃべれないテレサはコントに参加せずに地味な演歌をたどたどしく歌って終わるようなゲストどまり。
典型的な昭和のこども・まりおんには、めちゃくちゃ印象が薄かった。

それが自由中國之声で聞くテレサの中国語の歌は、ウソみたいに声に張りがあり、様々なジャンルの曲を歌いこなす実力も発揮されて、すっかりトリコになりました。
自身の日本語曲を中国語でセルフカヴァーした「小村之戀(ふるさとはどこですか)」や「香港之夜」は日本語版と比べてもいいし、
「再見!我的愛人(グッバイ・マイ・ラブ)」や「再來一杯(二人でお酒を)」など当時の日本のヒットした曲をカヴァーしたのもいい。
そして「夜來香」「海韻」などの中国語オリジナル曲をいくつか聴いたのを覚えてます。

80年代になって中国大陸でようやくポップスが解禁され、北京放送からも中国語のラブソング流れるようになってきたのですが、
オリジナルはテレサ・テンが歌った曲と後で知って驚いたものがまだまだいっぱいあります。
日本デビュー前に台湾でレコーディングされた楽曲も聞きましたが、少女時代のテレサの歌声はパンチがあって、いいです。

三木たかし・荒木とよひさコムビで作られた「償還(つぐない)」「愛人」「我只在乎[イ尓](時の流れに身をまかせ)」は、日本語中国語ともに素晴らしい歌声で、大ヒットを出せたのも嬉しかった。

もう「いいです」としかコメントできませんね、テレサは。
それだけに、43歳の若さで異国で死んだテレサの生涯はあまりに寂しい。いまでもテレサを思うと目がウルウルしてきます。
マザー・テレサに敬意をもって自らの英語名に取り入れたテレサ・テンは、いまやチャイナポップスのマザーといえる存在なのです。



Posted by まりおん at 18:03│Comments(1)
この記事へのコメント
まりおんさん、こんばんは。

まりおんさんのブログ記事は、
内容が豊富で、とても面白いです。
また、私にとっては
中華エンタメ情報の宝庫になりそうです。

たびたび、遊びにいきます。
Posted by チュンチュンチュンチュン at 2009年07月20日 21:42
 
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